ニュースレター「サンゴ礁の自然環境」

2014年11月号

フジツボに魅せられて

〜脚まねきが誘うフジツボの世界〜

写真左:クロフジツボ(灰色)とタイワンクロフジツボ(赤色)。写真右:岩からはがれたクロフジツボをひっくり返すと多孔構造が観察できる。 時代を超えたフジツボ研究 ダーウィンをはじめ、西洋の学者たちがフジツボのスケッチや観察で得られた多くの情報を残しているように、日本にも江戸時代に描かれたフジツボのスケッチが資料として残っています。例えば江戸時代における捕鯨の様子やクジラの解剖図、調理法などを記した「勇魚取絵詞」(益冨又左衛門 編纂、1832年)には、当時のクジラに付着したフジツボのスケッチが残されていました。そして近年、この「勇魚取絵詞(いさなとりえことば)」のフジツボスケッチに着目したフジツボ研究が話題になりました。その研究によれば、「勇魚取絵詞」に描かれている江戸時代のセミクジラにはオニフジツボ(クジラの皮膚に付着するフジツボ)が付着していた一方で、現存するセミクジラにはオニフジツボが付着している例がほとんどなかったそうです。実はセミクジラは乱獲により個体数が減少し、現在は国際自然保護連合(ICUN)によって絶滅危惧種に指定されています。この研究では、セミクジラの個体数が減ることでオニフジツボが付着するチャンスも減っていき、現在ではオニフジツボの生息場所が狭まっているのではないかと指摘しています。また、クジラのヒレに付着したフジツボはクジラにとって武器となり、外敵から身を守るのに役立っていると言われています。フジツボが付着しなくなったことで、セミクジラが外敵から身を守る術を失った可能性についても触れていました。時代を超えたフジツボ研究が自然界の変化を明らかにするなんて、とても興味深いですね。江戸時代の絵師たちもこのような形でフジツボのスケッチが役に立つとは思ってもいなかったでしょう。 決して派手な生き物ではないフジツボですが、現在も深海に棲むフジツボの分類学研究やフジツボが岩などに付着する際に作られる化学物質を利用した水中接着剤の開発など、様々なフジツボ研究が進められています。いつかフジツボ研究の成果が私たちの生活の中にも登場するかもしれませんね。フジツボが脚まねきで誘う魅惑の世界、皆さんも覗いてみてはいかがでしょうか。 執筆者 仲栄真 礁
 「フジツボ」といえば誰でも一度はその名を聞いたことがある生き物ではないでしょうか。港の岸壁や岩場などにびっしりとくっついているあの生き物なのかどうかもよくわからないアレです(図1)。いまいちパッとしない印象があるこのフジツボ、意外にもこれまで長きにわたって学者たちの興味を惹きつけてきた生き物でもあるのです。今回はそんなフジツボがどのように学者たちを魅了してきたのかをご紹介したいと思います。
図1.岩にびっしりと付着するタテジマフジツボ
フジツボは貝の仲間? フジツボの見た目は富士山のような形をしており、そのてっぺんに穴が開いていますが、中のフジツボ本体によって塞がれています。触ってみると殻は固く、岩から簡単に剥がせそうにありません。このような特徴を踏まえると、フジツボはどんな生き物の仲間だと思いますか?固い殻の中に棲む海の生き物といえば貝類を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、実際には貝類ではなく、フジツボはカニやエビなどと同じ甲殻類の仲間に分類されます。固い殻の中にいる本体を観察してみると、エビ・カニの脚のように節のある構造をした脚がついており、これを「蔓脚(まんきゃく)」といいます(図2)。フジツボはこの蔓脚を海中で広げ、手招きするするように動かして餌となるプランクトンを捕らえます。手招きと言っても、動かすのは脚なので正しくは“脚まねき”ですね。このような脚の構造や脚まねきをして積極的に餌を捕まえる行動は、確かに貝類ではないと感じさせます。そんな紛らわしい生き物であるフジツボについて、昔から多くの研究者がその分類に取り組んでいました。しかし、前述したような固い殻や固着する性質に惑わされ、もしかしたら甲殻類の仲間では?と疑われつつも19世紀初めまで貝類に分類されていました。この長い論争も、フジツボの殻の中からノープリウス幼生が発見されることで決着がつきます。ノープリウス幼生は甲殻類の生き物に共通する幼生で、この発見を元にノープリウス幼生から成体フジツボへ成長するまでのフジツボの一生が解き明かされ、フジツボが甲殻類の仲間だということが無事に広く認められました。
図2.フジツボは柄がついている有柄目と柄のない無柄目の大きく2種類にわけられる。写真左:漂着物に付着している有柄目のエボシガイ。写真右:殻を開くと蔓脚が観察できる。
研究者を魅了するフジツボ 甲殻類の仲間だということがわかったフジツボでしたが、その分類は不完全なものであったため、フジツボの分類学研究は学者たちによってさらに進められました。実は、あの進化論を唱えたことで有名なチャールズ・ダーウィンもフジツボの分類学研究に取り組んだ学者の一人でした。ダーウィンは進化論を発表する以前にフジツボ研究に取り組んでおり、旅に出る友人・知人に頼んで世界中のフジツボを収集し、その分類学研究に没頭したそうです。家にこもってフジツボを観察するダーウィンを見て育ったダーウィンの息子が、どの家庭の父親もみんなフジツボを研究しているのだと勘違いし、友達の家へ遊びに行ったときに「君のお父さんはどの部屋でフジツボを観察するの?」と聞いてしまったというエピソードが残っています。また、当時のダーウィンは自身の研究でわかったことを友人たちへの手紙に書き記し、意見を求めたり情報交換をしたりしていたそうですが、ダーウィン直筆の手紙が現在も資料として残っており、その手紙から”My beloved Barnacles”(我が愛しのフジツボ)という記述が発見されています。それほどまでにフジツボ研究に熱中したダーウィンは、8年にもおよぶ研究の成果をまとめた全4巻の「フジツボ総説」を書き上げ、英国王立協会から表彰されるほどの業績を残しました。この「フジツボ総説」は現代のフジツボ研究者にとっても重要な資料であり、現在も活用されているそうです。
写真左:クロフジツボ(灰色)とタイワンクロフジツボ(赤色)。写真右:岩からはがれたクロフジツボをひっくり返すと多孔構造が観察できる。 時代を超えたフジツボ研究 ダーウィンをはじめ、西洋の学者たちがフジツボのスケッチや観察で得られた多くの情報を残しているように、日本にも江戸時代に描かれたフジツボのスケッチが資料として残っています。例えば江戸時代における捕鯨の様子やクジラの解剖図、調理法などを記した「勇魚取絵詞」(益冨又左衛門 編纂、1832年)には、当時のクジラに付着したフジツボのスケッチが残されていました。そして近年、この「勇魚取絵詞(いさなとりえことば)」のフジツボスケッチに着目したフジツボ研究が話題になりました。その研究によれば、「勇魚取絵詞」に描かれている江戸時代のセミクジラにはオニフジツボ(クジラの皮膚に付着するフジツボ)が付着していた一方で、現存するセミクジラにはオニフジツボが付着している例がほとんどなかったそうです。実はセミクジラは乱獲により個体数が減少し、現在は国際自然保護連合(ICUN)によって絶滅危惧種に指定されています。この研究では、セミクジラの個体数が減ることでオニフジツボが付着するチャンスも減っていき、現在ではオニフジツボの生息場所が狭まっているのではないかと指摘しています。また、クジラのヒレに付着したフジツボはクジラにとって武器となり、外敵から身を守るのに役立っていると言われています。フジツボが付着しなくなったことで、セミクジラが外敵から身を守る術を失った可能性についても触れていました。時代を超えたフジツボ研究が自然界の変化を明らかにするなんて、とても興味深いですね。江戸時代の絵師たちもこのような形でフジツボのスケッチが役に立つとは思ってもいなかったでしょう。 決して派手な生き物ではないフジツボですが、現在も深海に棲むフジツボの分類学研究やフジツボが岩などに付着する際に作られる化学物質を利用した水中接着剤の開発など、様々なフジツボ研究が進められています。いつかフジツボ研究の成果が私たちの生活の中にも登場するかもしれませんね。フジツボが脚まねきで誘う魅惑の世界、皆さんも覗いてみてはいかがでしょうか。 執筆者 仲栄真 礁
 「フジツボ」といえば誰でも一度はその名を聞いたことがある生き物ではないでしょうか。港の岸壁や岩場などにびっしりとくっついているあの生き物なのかどうかもよくわからないアレです(図1)。いまいちパッとしない印象があるこのフジツボ、意外にもこれまで長きにわたって学者たちの興味を惹きつけてきた生き物でもあるのです。今回はそんなフジツボがどのように学者たちを魅了してきたのかをご紹介したいと思います。
図1.岩にびっしりと付着するタテジマフジツボ
フジツボは貝の仲間? フジツボの見た目は富士山のような形をしており、そのてっぺんに穴が開いていますが、中のフジツボ本体によって塞がれています。触ってみると殻は固く、岩から簡単に剥がせそうにありません。このような特徴を踏まえると、フジツボはどんな生き物の仲間だと思いますか?固い殻の中に棲む海の生き物といえば貝類を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、実際には貝類ではなく、フジツボはカニやエビなどと同じ甲殻類の仲間に分類されます。固い殻の中にいる本体を観察してみると、エビ・カニの脚のように節のある構造をした脚がついており、これを「蔓脚(まんきゃく)」といいます(図2)。フジツボはこの蔓脚を海中で広げ、手招きするするように動かして餌となるプランクトンを捕らえます。手招きと言っても、動かすのは脚なので正しくは“脚まねき”ですね。このような脚の構造や脚まねきをして積極的に餌を捕まえる行動は、確かに貝類ではないと感じさせます。そんな紛らわしい生き物であるフジツボについて、昔から多くの研究者がその分類に取り組んでいました。しかし、前述したような固い殻や固着する性質に惑わされ、もしかしたら甲殻類の仲間では?と疑われつつも19世紀初めまで貝類に分類されていました。この長い論争も、フジツボの殻の中からノープリウス幼生が発見されることで決着がつきます。ノープリウス幼生は甲殻類の生き物に共通する幼生で、この発見を元にノープリウス幼生から成体フジツボへ成長するまでのフジツボの一生が解き明かされ、フジツボが甲殻類の仲間だということが無事に広く認められました。
図2.フジツボは柄がついている有柄目と柄のない無柄目の大きく2種類にわけられる。写真左:漂着物に付着している有柄目のエボシガイ。写真右:殻を開くと蔓脚が観察できる。
研究者を魅了するフジツボ 甲殻類の仲間だということがわかったフジツボでしたが、その分類は不完全なものであったため、フジツボの分類学研究は学者たちによってさらに進められました。実は、あの進化論を唱えたことで有名なチャールズ・ダーウィンもフジツボの分類学研究に取り組んだ学者の一人でした。ダーウィンは進化論を発表する以前にフジツボ研究に取り組んでおり、旅に出る友人・知人に頼んで世界中のフジツボを収集し、その分類学研究に没頭したそうです。家にこもってフジツボを観察するダーウィンを見て育ったダーウィンの息子が、どの家庭の父親もみんなフジツボを研究しているのだと勘違いし、友達の家へ遊びに行ったときに「君のお父さんはどの部屋でフジツボを観察するの?」と聞いてしまったというエピソードが残っています。また、当時のダーウィンは自身の研究でわかったことを友人たちへの手紙に書き記し、意見を求めたり情報交換をしたりしていたそうですが、ダーウィン直筆の手紙が現在も資料として残っており、その手紙から”My beloved Barnacles”(我が愛しのフジツボ)という記述が発見されています。それほどまでにフジツボ研究に熱中したダーウィンは、8年にもおよぶ研究の成果をまとめた全4巻の「フジツボ総説」を書き上げ、英国王立協会から表彰されるほどの業績を残しました。この「フジツボ総説」は現代のフジツボ研究者にとっても重要な資料であり、現在も活用されているそうです。
写真左:クロフジツボ(灰色)とタイワンクロフジツボ(赤色)。写真右:岩からはがれたクロフジツボをひっくり返すと多孔構造が観察できる。 時代を超えたフジツボ研究 ダーウィンをはじめ、西洋の学者たちがフジツボのスケッチや観察で得られた多くの情報を残しているように、日本にも江戸時代に描かれたフジツボのスケッチが資料として残っています。例えば江戸時代における捕鯨の様子やクジラの解剖図、調理法などを記した「勇魚取絵詞」(益冨又左衛門 編纂、1832年)には、当時のクジラに付着したフジツボのスケッチが残されていました。そして近年、この「勇魚取絵詞(いさなとりえことば)」のフジツボスケッチに着目したフジツボ研究が話題になりました。その研究によれば、「勇魚取絵詞」に描かれている江戸時代のセミクジラにはオニフジツボ(クジラの皮膚に付着するフジツボ)が付着していた一方で、現存するセミクジラにはオニフジツボが付着している例がほとんどなかったそうです。実はセミクジラは乱獲により個体数が減少し、現在は国際自然保護連合(ICUN)によって絶滅危惧種に指定されています。この研究では、セミクジラの個体数が減ることでオニフジツボが付着するチャンスも減っていき、現在ではオニフジツボの生息場所が狭まっているのではないかと指摘しています。また、クジラのヒレに付着したフジツボはクジラにとって武器となり、外敵から身を守るのに役立っていると言われています。フジツボが付着しなくなったことで、セミクジラが外敵から身を守る術を失った可能性についても触れていました。時代を超えたフジツボ研究が自然界の変化を明らかにするなんて、とても興味深いですね。江戸時代の絵師たちもこのような形でフジツボのスケッチが役に立つとは思ってもいなかったでしょう。 決して派手な生き物ではないフジツボですが、現在も深海に棲むフジツボの分類学研究やフジツボが岩などに付着する際に作られる化学物質を利用した水中接着剤の開発など、様々なフジツボ研究が進められています。いつかフジツボ研究の成果が私たちの生活の中にも登場するかもしれませんね。フジツボが脚まねきで誘う魅惑の世界、皆さんも覗いてみてはいかがでしょうか。 執筆者 仲栄真 礁
 「フジツボ」といえば誰でも一度はその名を聞いたことがある生き物ではないでしょうか。港の岸壁や岩場などにびっしりとくっついているあの生き物なのかどうかもよくわからないアレです(図1)。いまいちパッとしない印象があるこのフジツボ、意外にもこれまで長きにわたって学者たちの興味を惹きつけてきた生き物でもあるのです。今回はそんなフジツボがどのように学者たちを魅了してきたのかをご紹介したいと思います。
図1.岩にびっしりと付着するタテジマフジツボ
フジツボは貝の仲間? フジツボの見た目は富士山のような形をしており、そのてっぺんに穴が開いていますが、中のフジツボ本体によって塞がれています。触ってみると殻は固く、岩から簡単に剥がせそうにありません。このような特徴を踏まえると、フジツボはどんな生き物の仲間だと思いますか?固い殻の中に棲む海の生き物といえば貝類を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、実際には貝類ではなく、フジツボはカニやエビなどと同じ甲殻類の仲間に分類されます。固い殻の中にいる本体を観察してみると、エビ・カニの脚のように節のある構造をした脚がついており、これを「蔓脚(まんきゃく)」といいます(図2)。フジツボはこの蔓脚を海中で広げ、手招きするするように動かして餌となるプランクトンを捕らえます。手招きと言っても、動かすのは脚なので正しくは“脚まねき”ですね。このような脚の構造や脚まねきをして積極的に餌を捕まえる行動は、確かに貝類ではないと感じさせます。そんな紛らわしい生き物であるフジツボについて、昔から多くの研究者がその分類に取り組んでいました。しかし、前述したような固い殻や固着する性質に惑わされ、もしかしたら甲殻類の仲間では?と疑われつつも19世紀初めまで貝類に分類されていました。この長い論争も、フジツボの殻の中からノープリウス幼生が発見されることで決着がつきます。ノープリウス幼生は甲殻類の生き物に共通する幼生で、この発見を元にノープリウス幼生から成体フジツボへ成長するまでのフジツボの一生が解き明かされ、フジツボが甲殻類の仲間だということが無事に広く認められました。
図2.フジツボは柄がついている有柄目と柄のない無柄目の大きく2種類にわけられる。写真左:漂着物に付着している有柄目のエボシガイ。写真右:殻を開くと蔓脚が観察できる。
研究者を魅了するフジツボ 甲殻類の仲間だということがわかったフジツボでしたが、その分類は不完全なものであったため、フジツボの分類学研究は学者たちによってさらに進められました。実は、あの進化論を唱えたことで有名なチャールズ・ダーウィンもフジツボの分類学研究に取り組んだ学者の一人でした。ダーウィンは進化論を発表する以前にフジツボ研究に取り組んでおり、旅に出る友人・知人に頼んで世界中のフジツボを収集し、その分類学研究に没頭したそうです。家にこもってフジツボを観察するダーウィンを見て育ったダーウィンの息子が、どの家庭の父親もみんなフジツボを研究しているのだと勘違いし、友達の家へ遊びに行ったときに「君のお父さんはどの部屋でフジツボを観察するの?」と聞いてしまったというエピソードが残っています。また、当時のダーウィンは自身の研究でわかったことを友人たちへの手紙に書き記し、意見を求めたり情報交換をしたりしていたそうですが、ダーウィン直筆の手紙が現在も資料として残っており、その手紙から”My beloved Barnacles”(我が愛しのフジツボ)という記述が発見されています。それほどまでにフジツボ研究に熱中したダーウィンは、8年にもおよぶ研究の成果をまとめた全4巻の「フジツボ総説」を書き上げ、英国王立協会から表彰されるほどの業績を残しました。この「フジツボ総説」は現代のフジツボ研究者にとっても重要な資料であり、現在も活用されているそうです。
写真左:クロフジツボ(灰色)とタイワンクロフジツボ(赤色)。写真右:岩からはがれたクロフジツボをひっくり返すと多孔構造が観察できる。 時代を超えたフジツボ研究 ダーウィンをはじめ、西洋の学者たちがフジツボのスケッチや観察で得られた多くの情報を残しているように、日本にも江戸時代に描かれたフジツボのスケッチが資料として残っています。例えば江戸時代における捕鯨の様子やクジラの解剖図、調理法などを記した「勇魚取絵詞」(益冨又左衛門 編纂、1832年)には、当時のクジラに付着したフジツボのスケッチが残されていました。そして近年、この「勇魚取絵詞(いさなとりえことば)」のフジツボスケッチに着目したフジツボ研究が話題になりました。その研究によれば、「勇魚取絵詞」に描かれている江戸時代のセミクジラにはオニフジツボ(クジラの皮膚に付着するフジツボ)が付着していた一方で、現存するセミクジラにはオニフジツボが付着している例がほとんどなかったそうです。実はセミクジラは乱獲により個体数が減少し、現在は国際自然保護連合(ICUN)によって絶滅危惧種に指定されています。この研究では、セミクジラの個体数が減ることでオニフジツボが付着するチャンスも減っていき、現在ではオニフジツボの生息場所が狭まっているのではないかと指摘しています。また、クジラのヒレに付着したフジツボはクジラにとって武器となり、外敵から身を守るのに役立っていると言われています。フジツボが付着しなくなったことで、セミクジラが外敵から身を守る術を失った可能性についても触れていました。時代を超えたフジツボ研究が自然界の変化を明らかにするなんて、とても興味深いですね。江戸時代の絵師たちもこのような形でフジツボのスケッチが役に立つとは思ってもいなかったでしょう。 決して派手な生き物ではないフジツボですが、現在も深海に棲むフジツボの分類学研究やフジツボが岩などに付着する際に作られる化学物質を利用した水中接着剤の開発など、様々なフジツボ研究が進められています。いつかフジツボ研究の成果が私たちの生活の中にも登場するかもしれませんね。フジツボが脚まねきで誘う魅惑の世界、皆さんも覗いてみてはいかがでしょうか。 執筆者 仲栄真 礁
 「フジツボ」といえば誰でも一度はその名を聞いたことがある生き物ではないでしょうか。港の岸壁や岩場などにびっしりとくっついているあの生き物なのかどうかもよくわからないアレです(図1)。いまいちパッとしない印象があるこのフジツボ、意外にもこれまで長きにわたって学者たちの興味を惹きつけてきた生き物でもあるのです。今回はそんなフジツボがどのように学者たちを魅了してきたのかをご紹介したいと思います。
図1.岩にびっしりと付着するタテジマフジツボ
フジツボは貝の仲間? フジツボの見た目は富士山のような形をしており、そのてっぺんに穴が開いていますが、中のフジツボ本体によって塞がれています。触ってみると殻は固く、岩から簡単に剥がせそうにありません。このような特徴を踏まえると、フジツボはどんな生き物の仲間だと思いますか?固い殻の中に棲む海の生き物といえば貝類を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、実際には貝類ではなく、フジツボはカニやエビなどと同じ甲殻類の仲間に分類されます。固い殻の中にいる本体を観察してみると、エビ・カニの脚のように節のある構造をした脚がついており、これを「蔓脚(まんきゃく)」といいます(図2)。フジツボはこの蔓脚を海中で広げ、手招きするするように動かして餌となるプランクトンを捕らえます。手招きと言っても、動かすのは脚なので正しくは“脚まねき”ですね。このような脚の構造や脚まねきをして積極的に餌を捕まえる行動は、確かに貝類ではないと感じさせます。そんな紛らわしい生き物であるフジツボについて、昔から多くの研究者がその分類に取り組んでいました。しかし、前述したような固い殻や固着する性質に惑わされ、もしかしたら甲殻類の仲間では?と疑われつつも19世紀初めまで貝類に分類されていました。この長い論争も、フジツボの殻の中からノープリウス幼生が発見されることで決着がつきます。ノープリウス幼生は甲殻類の生き物に共通する幼生で、この発見を元にノープリウス幼生から成体フジツボへ成長するまでのフジツボの一生が解き明かされ、フジツボが甲殻類の仲間だということが無事に広く認められました。
図2.フジツボは柄がついている有柄目と柄のない無柄目の大きく2種類にわけられる。写真左:漂着物に付着している有柄目のエボシガイ。写真右:殻を開くと蔓脚が観察できる。
研究者を魅了するフジツボ 甲殻類の仲間だということがわかったフジツボでしたが、その分類は不完全なものであったため、フジツボの分類学研究は学者たちによってさらに進められました。実は、あの進化論を唱えたことで有名なチャールズ・ダーウィンもフジツボの分類学研究に取り組んだ学者の一人でした。ダーウィンは進化論を発表する以前にフジツボ研究に取り組んでおり、旅に出る友人・知人に頼んで世界中のフジツボを収集し、その分類学研究に没頭したそうです。家にこもってフジツボを観察するダーウィンを見て育ったダーウィンの息子が、どの家庭の父親もみんなフジツボを研究しているのだと勘違いし、友達の家へ遊びに行ったときに「君のお父さんはどの部屋でフジツボを観察するの?」と聞いてしまったというエピソードが残っています。また、当時のダーウィンは自身の研究でわかったことを友人たちへの手紙に書き記し、意見を求めたり情報交換をしたりしていたそうですが、ダーウィン直筆の手紙が現在も資料として残っており、その手紙から”My beloved Barnacles”(我が愛しのフジツボ)という記述が発見されています。それほどまでにフジツボ研究に熱中したダーウィンは、8年にもおよぶ研究の成果をまとめた全4巻の「フジツボ総説」を書き上げ、英国王立協会から表彰されるほどの業績を残しました。この「フジツボ総説」は現代のフジツボ研究者にとっても重要な資料であり、現在も活用されているそうです。
写真左:クロフジツボ(灰色)とタイワンクロフジツボ(赤色)。写真右:岩からはがれたクロフジツボをひっくり返すと多孔構造が観察できる。 時代を超えたフジツボ研究 ダーウィンをはじめ、西洋の学者たちがフジツボのスケッチや観察で得られた多くの情報を残しているように、日本にも江戸時代に描かれたフジツボのスケッチが資料として残っています。例えば江戸時代における捕鯨の様子やクジラの解剖図、調理法などを記した「勇魚取絵詞」(益冨又左衛門 編纂、1832年)には、当時のクジラに付着したフジツボのスケッチが残されていました。そして近年、この「勇魚取絵詞(いさなとりえことば)」のフジツボスケッチに着目したフジツボ研究が話題になりました。その研究によれば、「勇魚取絵詞」に描かれている江戸時代のセミクジラにはオニフジツボ(クジラの皮膚に付着するフジツボ)が付着していた一方で、現存するセミクジラにはオニフジツボが付着している例がほとんどなかったそうです。実はセミクジラは乱獲により個体数が減少し、現在は国際自然保護連合(ICUN)によって絶滅危惧種に指定されています。この研究では、セミクジラの個体数が減ることでオニフジツボが付着するチャンスも減っていき、現在ではオニフジツボの生息場所が狭まっているのではないかと指摘しています。また、クジラのヒレに付着したフジツボはクジラにとって武器となり、外敵から身を守るのに役立っていると言われています。フジツボが付着しなくなったことで、セミクジラが外敵から身を守る術を失った可能性についても触れていました。時代を超えたフジツボ研究が自然界の変化を明らかにするなんて、とても興味深いですね。江戸時代の絵師たちもこのような形でフジツボのスケッチが役に立つとは思ってもいなかったでしょう。 決して派手な生き物ではないフジツボですが、現在も深海に棲むフジツボの分類学研究やフジツボが岩などに付着する際に作られる化学物質を利用した水中接着剤の開発など、様々なフジツボ研究が進められています。いつかフジツボ研究の成果が私たちの生活の中にも登場するかもしれませんね。フジツボが脚まねきで誘う魅惑の世界、皆さんも覗いてみてはいかがでしょうか。 執筆者 仲栄真 礁