ニュースレター「サンゴ礁の自然環境」

2018年2月号

「海と過ごした6年間~サンゴの研究を通じて~」 写真3. 友人たちとスキューバダイビングに明け暮れる。 サンゴを学ぶ~世の研究者と同じ土俵へ~ 大学では、サンゴの産卵についての研究を行いました。サンゴの産卵といえば、初夏の満月に見られる幻想的な現象で、読者の皆様もテレビなどで見たことがあるのではないでしょうか。サンゴの産卵タイミングには、これまでに月の光や、海水の温度、潮の満ち引きなどの要因が関係すると言われてきました。しかし決定的な証拠は得られておらず、今も世界中の研究者はこの課題解決に果敢に挑み続けています。私も微力ながら、その一員として、サンゴの産卵タイミングといくつかの遺伝子の関係性について調べました。研究はこれまでの授業でやってきたような実験とは大きく違い、仮説から検証まで全て自分で行います。そのため研究をはじめて間もないころは先輩に金魚のフンのように付いて回り、実験のノウハウを勉強しました。中学や高校生物で勉強したことも、すごく大切なのだと実感しました。研究の結果、サンゴは私たち人間と同じようなホルモンや酵素を使って成熟を進めている可能性が高いという結論に至りました。機会に恵まれたおかげで、この研究結果はサンゴの国際学会で発表をさせて頂きました。このような大きな舞台で発表できたこと以上に、驚かされたことがありました。それは世界中のサンゴ研究者のほとんどが沖縄のサンゴの美しさや多様さを知っており、何名かは頻繁に沖縄で研究を行っていることでした。幼少期から憧れていた沖縄の海は、世界中の研究者をも魅了してきていたのかと。私がいかに恵まれた環境で研究できているのかを、改めて実感しました。この気持ちは私の大学院での研究を進める一つの原動力になりました。卒業論文を書き終え、4年間の学部生活を終えた私はさらに2年間、サンゴの研究を続ける決心をしました。まるで沖縄に住む口実を作るようでしたが、、、(笑)
写真4. 研究用にタグ付けしたサンゴ群体。 サンゴを学ぶ~より研究者らしく、より深く~ 大学院の2年間は、それこそ毎日研究室に通い続ける勢いだったと思います。沖縄に住み始めた当初に比べると、海で遊ぶ時間よりも実験や机に座ってパソコンと睨み合う時間の方が圧倒的に増えました。大学院での研究は、卒業研究とは少し内容が変わり、「サンゴと光の関係性」に関するものでした。このテーマは、1940年代にすでに日本人研究者が精力的に挑んでいた歴史ある分野ですが、70年以上経過してもなお、明確な答えにたどり着いていません。原因の一つとしては、サンゴに共生する褐虫藻という微細藻類の存在です。サンゴという生き物を理解するうえで、この褐虫藻の理解も避けては通れないため、なかなか思うように研究が進まないのです。私の研究も同じ轍(てつ)を踏むかのように、褐虫藻の壁にぶち当たりました。しかし取り組んでいる研究がやりたいことだったからでしょうか、デスクワークの時間もさほど苦ではありませんでした。こうして行ってきた研究の成果が今後、少しでもサンゴを理解するひとつの鎖として繋がっていってくれれば嬉しいです。 さいごに 私はこの春には大学院を卒業して、サンゴも海も関係ない仕事に就きます。しかし、働く先の興味や関心は、サンゴを研究していた中で出会いました。結果こそ違えど、沖縄に来て、海で遊び、サンゴを学んできたことは、私の人生に全て繋がっていたのかなと感じます。この先も「海」は私にとってかけがえのない存在であり続けると思います。そして沖縄で過ごした6年間は、人生の中で最も誇れる経験の一つになりました。自分の興味や憧れを追い続けた先には、きっと何かしらの「いい結果」が待っていると思います。けれどきっと、自分みたいに好きな事が明確じゃない人だって沢山いると思います。何か一つでも好きになれることが見つかるように、いろいろなことにチャレンジすることも物事の追求と同じくらい大切なのかなと思います。そう信じて、卒業後も頑張っていきます。 執筆者 和泉 遼太郎
「海と過ごした6年間~サンゴの研究を通じて~」
はじめに 母がスキューバダイビングをする姿に影響を受け、小学5年生の私はこつこつ貯めたお年玉でジュニアスキューバダイビングのライセンスを取得しました。そしてご縁があり、翌年に初めて沖縄でスキューバダイビングをさせてもらいました。何十メートルも先まで見通せる透き通った水中、まるでお花畑のようにあたり一面を彩るサンゴ、そして色とりどりの魚たち。。。 そこには、今まで見たことがない美しい光景が私を待ち受けていました。小学生ながらこんなに美しい景色が世の中にはあるのか、と強い印象を受けました。初めて沖縄の海を覗いたときのことは今でも忘れません。そしていつしか、沖縄に住みたい!海の勉強をしたい!と思うようになりました。そしてその漠然とした願望は数年後に現実となり、私は沖縄の大学へと進学し、サンゴの研究に従事するのでした。
写真1. ジュニアライセンス取得時の私。
写真2. 憧れた沖縄の海。
夢みた景色、憧れの毎日 東京という都会に18年間住んでからの沖縄生活は、暮らしも文化もまるで異なり、新鮮味あふれる毎日でした。沖縄ではダイビングはとても身近なもので、気が向いたら趣味を同じくする友人たちと共に、大好きなスキューバダイビングに明け暮れる毎日でした。海に憧れて沖縄に住むことを決意した私にとって、これ以上ない幸せでした。どこのポイントで潜ろうとも、やはり魅了されるのはサンゴとそれを取り巻く美しい魚たちでした。やがて、海の中を駆け回る楽しみに加えて、サンゴという生き物自身に対して興味を抱くようになりました。そうして私はサンゴを対象として卒業研究を行うことを決意しました。
写真3. 友人たちとスキューバダイビングに明け暮れる。
サンゴを学ぶ~世の研究者と同じ土俵へ~ 大学では、サンゴの産卵についての研究を行いました。サンゴの産卵といえば、初夏の満月に見られる幻想的な現象で、読者の皆様もテレビなどで見たことがあるのではないでしょうか。サンゴの産卵タイミングには、これまでに月の光や、海水の温度、潮の満ち引きなどの要因が関係すると言われてきました。しかし決定的な証拠は得られておらず、今も世界中の研究者はこの課題解決に果敢に挑み続けています。私も微力ながら、その一員として、サンゴの産卵タイミングといくつかの遺伝子の関係性について調べました。研究はこれまでの授業でやってきたような実験とは大きく違い、仮説から検証まで全て自分で行います。そのため研究をはじめて間もないころは先輩に金魚のフンのように付いて回り、実験のノウハウを勉強しました。中学や高校生物で勉強したことも、すごく大切なのだと実感しました。研究の結果、サンゴは私たち人間と同じようなホルモンや酵素を使って成熟を進めている可能性が高いという結論に至りました。機会に恵まれたおかげで、この研究結果はサンゴの国際学会で発表をさせて頂きました。このような大きな舞台で発表できたこと以上に、驚かされたことがありました。それは世界中のサンゴ研究者のほとんどが沖縄のサンゴの美しさや多様さを知っており、何名かは頻繁に沖縄で研究を行っていることでした。幼少期から憧れていた沖縄の海は、世界中の研究者をも魅了してきていたのかと。私がいかに恵まれた環境で研究できているのかを、改めて実感しました。この気持ちは私の大学院での研究を進める一つの原動力になりました。卒業論文を書き終え、4年間の学部生活を終えた私はさらに2年間、サンゴの研究を続ける決心をしました。まるで沖縄に住む口実を作るようでしたが、、、(笑)
写真4. 研究用にタグ付けしたサンゴ群体。 サンゴを学ぶ~より研究者らしく、より深く~ 大学院の2年間は、それこそ毎日研究室に通い続ける勢いだったと思います。沖縄に住み始めた当初に比べると、海で遊ぶ時間よりも実験や机に座ってパソコンと睨み合う時間の方が圧倒的に増えました。大学院での研究は、卒業研究とは少し内容が変わり、「サンゴと光の関係性」に関するものでした。このテーマは、1940年代にすでに日本人研究者が精力的に挑んでいた歴史ある分野ですが、70年以上経過してもなお、明確な答えにたどり着いていません。原因の一つとしては、サンゴに共生する褐虫藻という微細藻類の存在です。サンゴという生き物を理解するうえで、この褐虫藻の理解も避けては通れないため、なかなか思うように研究が進まないのです。私の研究も同じ轍(てつ)を踏むかのように、褐虫藻の壁にぶち当たりました。しかし取り組んでいる研究がやりたいことだったからでしょうか、デスクワークの時間もさほど苦ではありませんでした。こうして行ってきた研究の成果が今後、少しでもサンゴを理解するひとつの鎖として繋がっていってくれれば嬉しいです。 さいごに 私はこの春には大学院を卒業して、サンゴも海も関係ない仕事に就きます。しかし、働く先の興味や関心は、サンゴを研究していた中で出会いました。結果こそ違えど、沖縄に来て、海で遊び、サンゴを学んできたことは、私の人生に全て繋がっていたのかなと感じます。この先も「海」は私にとってかけがえのない存在であり続けると思います。そして沖縄で過ごした6年間は、人生の中で最も誇れる経験の一つになりました。自分の興味や憧れを追い続けた先には、きっと何かしらの「いい結果」が待っていると思います。けれどきっと、自分みたいに好きな事が明確じゃない人だって沢山いると思います。何か一つでも好きになれることが見つかるように、いろいろなことにチャレンジすることも物事の追求と同じくらい大切なのかなと思います。そう信じて、卒業後も頑張っていきます。 執筆者 和泉 遼太郎
「海と過ごした6年間~サンゴの研究を通じて~」
はじめに 母がスキューバダイビングをする姿に影響を受け、小学5年生の私はこつこつ貯めたお年玉でジュニアスキューバダイビングのライセンスを取得しました。そしてご縁があり、翌年に初めて沖縄でスキューバダイビングをさせてもらいました。何十メートルも先まで見通せる透き通った水中、まるでお花畑のようにあたり一面を彩るサンゴ、そして色とりどりの魚たち。。。 そこには、今まで見たことがない美しい光景が私を待ち受けていました。小学生ながらこんなに美しい景色が世の中にはあるのか、と強い印象を受けました。初めて沖縄の海を覗いたときのことは今でも忘れません。そしていつしか、沖縄に住みたい!海の勉強をしたい!と思うようになりました。そしてその漠然とした願望は数年後に現実となり、私は沖縄の大学へと進学し、サンゴの研究に従事するのでした。
写真1. ジュニアライセンス取得時の私。
写真2. 憧れた沖縄の海。
夢みた景色、憧れの毎日 東京という都会に18年間住んでからの沖縄生活は、暮らしも文化もまるで異なり、新鮮味あふれる毎日でした。沖縄ではダイビングはとても身近なもので、気が向いたら趣味を同じくする友人たちと共に、大好きなスキューバダイビングに明け暮れる毎日でした。海に憧れて沖縄に住むことを決意した私にとって、これ以上ない幸せでした。どこのポイントで潜ろうとも、やはり魅了されるのはサンゴとそれを取り巻く美しい魚たちでした。やがて、海の中を駆け回る楽しみに加えて、サンゴという生き物自身に対して興味を抱くようになりました。そうして私はサンゴを対象として卒業研究を行うことを決意しました。
写真3. 友人たちとスキューバダイビングに明け暮れる。
サンゴを学ぶ~世の研究者と同じ土俵へ~ 大学では、サンゴの産卵についての研究を行いました。サンゴの産卵といえば、初夏の満月に見られる幻想的な現象で、読者の皆様もテレビなどで見たことがあるのではないでしょうか。サンゴの産卵タイミングには、これまでに月の光や、海水の温度、潮の満ち引きなどの要因が関係すると言われてきました。しかし決定的な証拠は得られておらず、今も世界中の研究者はこの課題解決に果敢に挑み続けています。私も微力ながら、その一員として、サンゴの産卵タイミングといくつかの遺伝子の関係性について調べました。研究はこれまでの授業でやってきたような実験とは大きく違い、仮説から検証まで全て自分で行います。そのため研究をはじめて間もないころは先輩に金魚のフンのように付いて回り、実験のノウハウを勉強しました。中学や高校生物で勉強したことも、すごく大切なのだと実感しました。研究の結果、サンゴは私たち人間と同じようなホルモンや酵素を使って成熟を進めている可能性が高いという結論に至りました。機会に恵まれたおかげで、この研究結果はサンゴの国際学会で発表をさせて頂きました。このような大きな舞台で発表できたこと以上に、驚かされたことがありました。それは世界中のサンゴ研究者のほとんどが沖縄のサンゴの美しさや多様さを知っており、何名かは頻繁に沖縄で研究を行っていることでした。幼少期から憧れていた沖縄の海は、世界中の研究者をも魅了してきていたのかと。私がいかに恵まれた環境で研究できているのかを、改めて実感しました。この気持ちは私の大学院での研究を進める一つの原動力になりました。卒業論文を書き終え、4年間の学部生活を終えた私はさらに2年間、サンゴの研究を続ける決心をしました。まるで沖縄に住む口実を作るようでしたが、、、(笑)
写真4. 研究用にタグ付けしたサンゴ群体。 サンゴを学ぶ~より研究者らしく、より深く~ 大学院の2年間は、それこそ毎日研究室に通い続ける勢いだったと思います。沖縄に住み始めた当初に比べると、海で遊ぶ時間よりも実験や机に座ってパソコンと睨み合う時間の方が圧倒的に増えました。大学院での研究は、卒業研究とは少し内容が変わり、「サンゴと光の関係性」に関するものでした。このテーマは、1940年代にすでに日本人研究者が精力的に挑んでいた歴史ある分野ですが、70年以上経過してもなお、明確な答えにたどり着いていません。原因の一つとしては、サンゴに共生する褐虫藻という微細藻類の存在です。サンゴという生き物を理解するうえで、この褐虫藻の理解も避けては通れないため、なかなか思うように研究が進まないのです。私の研究も同じ轍(てつ)を踏むかのように、褐虫藻の壁にぶち当たりました。しかし取り組んでいる研究がやりたいことだったからでしょうか、デスクワークの時間もさほど苦ではありませんでした。こうして行ってきた研究の成果が今後、少しでもサンゴを理解するひとつの鎖として繋がっていってくれれば嬉しいです。 さいごに 私はこの春には大学院を卒業して、サンゴも海も関係ない仕事に就きます。しかし、働く先の興味や関心は、サンゴを研究していた中で出会いました。結果こそ違えど、沖縄に来て、海で遊び、サンゴを学んできたことは、私の人生に全て繋がっていたのかなと感じます。この先も「海」は私にとってかけがえのない存在であり続けると思います。そして沖縄で過ごした6年間は、人生の中で最も誇れる経験の一つになりました。自分の興味や憧れを追い続けた先には、きっと何かしらの「いい結果」が待っていると思います。けれどきっと、自分みたいに好きな事が明確じゃない人だって沢山いると思います。何か一つでも好きになれることが見つかるように、いろいろなことにチャレンジすることも物事の追求と同じくらい大切なのかなと思います。そう信じて、卒業後も頑張っていきます。 執筆者 和泉 遼太郎
「海と過ごした6年間~サンゴの研究を通じて~」
はじめに 母がスキューバダイビングをする姿に影響を受け、小学5年生の私はこつこつ貯めたお年玉でジュニアスキューバダイビングのライセンスを取得しました。そしてご縁があり、翌年に初めて沖縄でスキューバダイビングをさせてもらいました。何十メートルも先まで見通せる透き通った水中、まるでお花畑のようにあたり一面を彩るサンゴ、そして色とりどりの魚たち。。。 そこには、今まで見たことがない美しい光景が私を待ち受けていました。小学生ながらこんなに美しい景色が世の中にはあるのか、と強い印象を受けました。初めて沖縄の海を覗いたときのことは今でも忘れません。そしていつしか、沖縄に住みたい!海の勉強をしたい!と思うようになりました。そしてその漠然とした願望は数年後に現実となり、私は沖縄の大学へと進学し、サンゴの研究に従事するのでした。
写真1. ジュニアライセンス取得時の私。
写真2. 憧れた沖縄の海。
夢みた景色、憧れの毎日 東京という都会に18年間住んでからの沖縄生活は、暮らしも文化もまるで異なり、新鮮味あふれる毎日でした。沖縄ではダイビングはとても身近なもので、気が向いたら趣味を同じくする友人たちと共に、大好きなスキューバダイビングに明け暮れる毎日でした。海に憧れて沖縄に住むことを決意した私にとって、これ以上ない幸せでした。どこのポイントで潜ろうとも、やはり魅了されるのはサンゴとそれを取り巻く美しい魚たちでした。やがて、海の中を駆け回る楽しみに加えて、サンゴという生き物自身に対して興味を抱くようになりました。そうして私はサンゴを対象として卒業研究を行うことを決意しました。
写真3. 友人たちとスキューバダイビングに明け暮れる。 サンゴを学ぶ~世の研究者と同じ土俵へ~ 大学では、サンゴの産卵についての研究を行いました。サンゴの産卵といえば、初夏の満月に見られる幻想的な現象で、読者の皆様もテレビなどで見たことがあるのではないでしょうか。サンゴの産卵タイミングには、これまでに月の光や、海水の温度、潮の満ち引きなどの要因が関係すると言われてきました。しかし決定的な証拠は得られておらず、今も世界中の研究者はこの課題解決に果敢に挑み続けています。私も微力ながら、その一員として、サンゴの産卵タイミングといくつかの遺伝子の関係性について調べました。研究はこれまでの授業でやってきたような実験とは大きく違い、仮説から検証まで全て自分で行います。そのため研究をはじめて間もないころは先輩に金魚のフンのように付いて回り、実験のノウハウを勉強しました。中学や高校生物で勉強したことも、すごく大切なのだと実感しました。研究の結果、サンゴは私たち人間と同じようなホルモンや酵素を使って成熟を進めている可能性が高いという結論に至りました。機会に恵まれたおかげで、この研究結果はサンゴの国際学会で発表をさせて頂きました。このような大きな舞台で発表できたこと以上に、驚かされたことがありました。それは世界中のサンゴ研究者のほとんどが沖縄のサンゴの美しさや多様さを知っており、何名かは頻繁に沖縄で研究を行っていることでした。幼少期から憧れていた沖縄の海は、世界中の研究者をも魅了してきていたのかと。私がいかに恵まれた環境で研究できているのかを、改めて実感しました。この気持ちは私の大学院での研究を進める一つの原動力になりました。卒業論文を書き終え、4年間の学部生活を終えた私はさらに2年間、サンゴの研究を続ける決心をしました。まるで沖縄に住む口実を作るようでしたが、、、(笑)
写真4. 研究用にタグ付けしたサンゴ群体。 サンゴを学ぶ~より研究者らしく、より深く~ 大学院の2年間は、それこそ毎日研究室に通い続ける勢いだったと思います。沖縄に住み始めた当初に比べると、海で遊ぶ時間よりも実験や机に座ってパソコンと睨み合う時間の方が圧倒的に増えました。大学院での研究は、卒業研究とは少し内容が変わり、「サンゴと光の関係性」に関するものでした。このテーマは、1940年代にすでに日本人研究者が精力的に挑んでいた歴史ある分野ですが、70年以上経過してもなお、明確な答えにたどり着いていません。原因の一つとしては、サンゴに共生する褐虫藻という微細藻類の存在です。サンゴという生き物を理解するうえで、この褐虫藻の理解も避けては通れないため、なかなか思うように研究が進まないのです。私の研究も同じ轍(てつ)を踏むかのように、褐虫藻の壁にぶち当たりました。しかし取り組んでいる研究がやりたいことだったからでしょうか、デスクワークの時間もさほど苦ではありませんでした。こうして行ってきた研究の成果が今後、少しでもサンゴを理解するひとつの鎖として繋がっていってくれれば嬉しいです。 さいごに 私はこの春には大学院を卒業して、サンゴも海も関係ない仕事に就きます。しかし、働く先の興味や関心は、サンゴを研究していた中で出会いました。結果こそ違えど、沖縄に来て、海で遊び、サンゴを学んできたことは、私の人生に全て繋がっていたのかなと感じます。この先も「海」は私にとってかけがえのない存在であり続けると思います。そして沖縄で過ごした6年間は、人生の中で最も誇れる経験の一つになりました。自分の興味や憧れを追い続けた先には、きっと何かしらの「いい結果」が待っていると思います。けれどきっと、自分みたいに好きな事が明確じゃない人だって沢山いると思います。何か一つでも好きになれることが見つかるように、いろいろなことにチャレンジすることも物事の追求と同じくらい大切なのかなと思います。そう信じて、卒業後も頑張っていきます。 執筆者 和泉 遼太郎
「海と過ごした6年間~サンゴの研究を通じて~」
はじめに 母がスキューバダイビングをする姿に影響を受け、小学5年生の私はこつこつ貯めたお年玉でジュニアスキューバダイビングのライセンスを取得しました。そしてご縁があり、翌年に初めて沖縄でスキューバダイビングをさせてもらいました。何十メートルも先まで見通せる透き通った水中、まるでお花畑のようにあたり一面を彩るサンゴ、そして色とりどりの魚たち。。。 そこには、今まで見たことがない美しい光景が私を待ち受けていました。小学生ながらこんなに美しい景色が世の中にはあるのか、と強い印象を受けました。初めて沖縄の海を覗いたときのことは今でも忘れません。そしていつしか、沖縄に住みたい!海の勉強をしたい!と思うようになりました。そしてその漠然とした願望は数年後に現実となり、私は沖縄の大学へと進学し、サンゴの研究に従事するのでした。
写真1. ジュニアライセンス取得時の私。
写真2. 憧れた沖縄の海。
夢みた景色、憧れの毎日 東京という都会に18年間住んでからの沖縄生活は、暮らしも文化もまるで異なり、新鮮味あふれる毎日でした。沖縄ではダイビングはとても身近なもので、気が向いたら趣味を同じくする友人たちと共に、大好きなスキューバダイビングに明け暮れる毎日でした。海に憧れて沖縄に住むことを決意した私にとって、これ以上ない幸せでした。どこのポイントで潜ろうとも、やはり魅了されるのはサンゴとそれを取り巻く美しい魚たちでした。やがて、海の中を駆け回る楽しみに加えて、サンゴという生き物自身に対して興味を抱くようになりました。そうして私はサンゴを対象として卒業研究を行うことを決意しました。
写真3. 友人たちとスキューバダイビングに明け暮れる。
サンゴを学ぶ~世の研究者と同じ土俵へ~ 大学では、サンゴの産卵についての研究を行いました。サンゴの産卵といえば、初夏の満月に見られる幻想的な現象で、読者の皆様もテレビなどで見たことがあるのではないでしょうか。サンゴの産卵タイミングには、これまでに月の光や、海水の温度、潮の満ち引きなどの要因が関係すると言われてきました。しかし決定的な証拠は得られておらず、今も世界中の研究者はこの課題解決に果敢に挑み続けています。私も微力ながら、その一員として、サンゴの産卵タイミングといくつかの遺伝子の関係性について調べました。研究はこれまでの授業でやってきたような実験とは大きく違い、仮説から検証まで全て自分で行います。そのため研究をはじめて間もないころは先輩に金魚のフンのように付いて回り、実験のノウハウを勉強しました。中学や高校生物で勉強したことも、すごく大切なのだと実感しました。研究の結果、サンゴは私たち人間と同じようなホルモンや酵素を使って成熟を進めている可能性が高いという結論に至りました。機会に恵まれたおかげで、この研究結果はサンゴの国際学会で発表をさせて頂きました。このような大きな舞台で発表できたこと以上に、驚かされたことがありました。それは世界中のサンゴ研究者のほとんどが沖縄のサンゴの美しさや多様さを知っており、何名かは頻繁に沖縄で研究を行っていることでした。幼少期から憧れていた沖縄の海は、世界中の研究者をも魅了してきていたのかと。私がいかに恵まれた環境で研究できているのかを、改めて実感しました。この気持ちは私の大学院での研究を進める一つの原動力になりました。卒業論文を書き終え、4年間の学部生活を終えた私はさらに2年間、サンゴの研究を続ける決心をしました。まるで沖縄に住む口実を作るようでしたが、、、(笑)
写真4. 研究用にタグ付けしたサンゴ群体。 サンゴを学ぶ~より研究者らしく、より深く~ 大学院の2年間は、それこそ毎日研究室に通い続ける勢いだったと思います。沖縄に住み始めた当初に比べると、海で遊ぶ時間よりも実験や机に座ってパソコンと睨み合う時間の方が圧倒的に増えました。大学院での研究は、卒業研究とは少し内容が変わり、「サンゴと光の関係性」に関するものでした。このテーマは、1940年代にすでに日本人研究者が精力的に挑んでいた歴史ある分野ですが、70年以上経過してもなお、明確な答えにたどり着いていません。原因の一つとしては、サンゴに共生する褐虫藻という微細藻類の存在です。サンゴという生き物を理解するうえで、この褐虫藻の理解も避けては通れないため、なかなか思うように研究が進まないのです。私の研究も同じ轍(てつ)を踏むかのように、褐虫藻の壁にぶち当たりました。しかし取り組んでいる研究がやりたいことだったからでしょうか、デスクワークの時間もさほど苦ではありませんでした。こうして行ってきた研究の成果が今後、少しでもサンゴを理解するひとつの鎖として繋がっていってくれれば嬉しいです。 さいごに 私はこの春には大学院を卒業して、サンゴも海も関係ない仕事に就きます。しかし、働く先の興味や関心は、サンゴを研究していた中で出会いました。結果こそ違えど、沖縄に来て、海で遊び、サンゴを学んできたことは、私の人生に全て繋がっていたのかなと感じます。この先も「海」は私にとってかけがえのない存在であり続けると思います。そして沖縄で過ごした6年間は、人生の中で最も誇れる経験の一つになりました。自分の興味や憧れを追い続けた先には、きっと何かしらの「いい結果」が待っていると思います。けれどきっと、自分みたいに好きな事が明確じゃない人だって沢山いると思います。何か一つでも好きになれることが見つかるように、いろいろなことにチャレンジすることも物事の追求と同じくらい大切なのかなと思います。そう信じて、卒業後も頑張っていきます。 執筆者 和泉 遼太郎