ニュースレター「サンゴ礁の自然環境」

2014年8月号

生き物と生き物とのつながりを見てみると

 違う種類の生き物同士が協力して生きる「共生」。古今東西を通じて、そういうストーリーはどうも人々の心に触れるようです。とりわけ「弱肉強食」的な、殺伐としたイメージのある自然界においてそういう例を見ると、砂漠の中にオアシスを見つけたような気分になります。 サンゴ礁の白い砂地の海底に住む生き物のひとつに、テッポウエビの仲間がいます。テッポウエビ類は砂地にかなり深いトンネルを掘って住んでいます。この巣穴にはたいてい、「居候」をしている魚がいます。オドリハゼ、シロオビハゼなどのハゼ類です。まとめて「共生ハゼ」と呼ばれている彼らは、ただ他人の家に居座っているだけではありません。実は、彼らはテッポウエビの巣穴の「警備員」をやっているのです。テッポウエビはモグラのような穴ぐら生活に適応した結果、眼が退化してほとんど見えません。これに対して共生ハゼは眼がよいうえ、巣穴の上数センチの水中に浮いて(ホバリングして)いられるため、遠くの天敵をいち早く発見できます。砂地の穴は放っておくと崩れていくので、テッポウエビはしょっちゅう巣穴の修繕をしていますが、その間じゅう、長い触覚で共生ハゼを触っています。そしてハゼが危険を知らせる動きをすると、瞬時に巣穴に引っ込んでいくのです。 これだけ聞くとほのぼのとした気分になりますが、「共生」は数ある生物同士の関係の一つの形に過ぎません。生物が別の種類の生物と関係を持つのは基本的に「自分にメリットがあるから」であり、それが相手を弱らせたり殺したりする形であれば「寄生」、そうでない場合は「共生」と呼ばれます。テッポウエビと共生ハゼのように、お互いがお互いを利用する関係を特に「相利共生」と呼びます。これに対して、片方だけが利益を得る場合を「片利共生」といいます。 オジサンという名前のヒメジ科の魚は、サンゴ礁の砂地を餌場にします。口の下にぴょこんと飛び出たヒゲには味覚を感じる感覚器があり、砂に顔を突っ込んで餌になる生物を探します。このヒメジ類としばしば一緒に泳いでいるのがミツボシキュウセンというベラの仲間の魚で、自分で砂を掘る事なく、おこぼれを狙ってピッタリと付いていきます。ヒメジ類には何のメリットもないわけで、これは片利共生だと考えられます。ちなみにミツボシキュウセンは、我々が生物を探して海中で石をひっくり返した時も真っ先に寄ってきて餌を探し、次の石をひっくり返すまで「まだ〜?」と言いたげに待っていたりします。 寄生には、相手(宿主)から少しずつ栄養を奪う程度のものから、宿主を殺してしまうものまで様々なパターンがあります。カニの腹節(お腹の三角形の部分)に寄生するフクロムシという生物の仲間は、本来カニが卵を抱く場所(カニの「ふんどし」)に陣取って栄養を奪います。さらに、時期が来るとカニの神経系をコントロールして自分の卵を海中に「産ませ」ます。恐ろしいことに、このフクロムシはオスのカニにも取り付き、本来オスがしないはずの産卵行動を取らせます。寄生されたカニはオスもメスも生殖能力を奪われてしまいます。 「共生」でせっかくほのぼのとした気分になったのに、ちょっとグロテスクな話題で締めてしまいましたね。結局、生物の世界も人間社会と同じように、自分の利益こそが全てなのか、と思われたかもしれません。ある意味その通りなのですが、生物の世界では皆自分が生き残ることに必死で、共生も寄生もすべてそのための必要性から発展した関係です。そこには人間の知性と社会性が産んだ「妬み」や「いじめ」の要素はありません。また、逆にこうも考えられるのではないでしょうか。人間こそは仲間同士お互いの利益や、自分の生存に必要な資源・環境について考え、判断するだけの知性と社会性を発展させ、生存競争を生き抜くように適応してきた生き物なのであると。 執筆者 宮崎 悠

2015年6月号

月夜に始まるサンゴの産卵とその研究

2015年7月号

新種の生物を自分で発見して名前をつけるには?

2015年8月号

スツボサンゴはどこへ行く?

2015年9月号

貝殻にまん丸の穴を開けたのは誰?

2015年10月号

電灯潜り漁の世界

2015年11月号

フジツボに魅せられて脚まねきが誘うフジツボの世界

2015年12月号

沖縄のカブトガニは夢か幻か

2016年2月号

沖縄の海への憧れから研究へ

2016年3月号

子供から学ぶハマダイコンの事実

2016年4月号

こどもたちに大人気のクワガタムシ!じゃあ、海のクワガタムシは?

2016年5月号

これであなたも魚通!?~方言から迫る沖縄の食用魚~

2016年6月号

タカラガイの世界

2016年7月号

-国際サンゴ礁学会ハワイ大会-体験記

2016年9月号

サンゴの運命は如何に!?

2016年10月号

海面に雪だるま!?

~ウミショウブの雄花~

2017年4月号

春の代名詞を知る

~沖縄と本土の桜の違いとは?~

2017年5月号

沖縄の熱いビール文化

~知られざるサンゴとビールの関係~

2017年6月号

月を感じる沖縄の生き物

2017年7月号

夜の海の派手な世界

2017年8月号

沖縄の海の現在と未来

2017年9月号

サンゴの一斉産卵から見る環境の変化

2017年10月号

知ってますか? スクガラス

2017年11月号

陸の中の海

ーアンキアライン洞窟にくらす不思議な生き物たちー

2018年2月号

「海と過ごした6年間〜サンゴの研究を通じて〜」

2018年3月号

サンゴの海の漁業

 違う種類の生き物同士が協力して生きる「共生」。古今東西を通じて、そういうストーリーはどうも人々の心に触れるようです。とりわけ「弱肉強食」的な、殺伐としたイメージのある自然界においてそういう例を見ると、砂漠の中にオアシスを見つけたような気分になります。 サンゴ礁の白い砂地の海底に住む生き物のひとつに、テッポウエビの仲間がいます。テッポウエビ類は砂地にかなり深いトンネルを掘って住んでいます。この巣穴にはたいてい、「居候」をしている魚がいます。オドリハゼ、シロオビハゼなどのハゼ類です。まとめて「共生ハゼ」と呼ばれている彼らは、ただ他人の家に居座っているだけではありません。実は、彼らはテッポウエビの巣穴の「警備員」をやっているのです。テッポウエビはモグラのような穴ぐら生活に適応した結果、眼が退化してほとんど見えません。これに対して共生ハゼは眼がよいうえ、巣穴の上数センチの水中に浮いて(ホバリングして)いられるため、遠くの天敵をいち早く発見できます。砂地の穴は放っておくと崩れていくので、テッポウエビはしょっちゅう巣穴の修繕をしていますが、その間じゅう、長い触覚で共生ハゼを触っています。そしてハゼが危険を知らせる動きをすると、瞬時に巣穴に引っ込んでいくのです。 これだけ聞くとほのぼのとした気分になりますが、「共生」は数ある生物同士の関係の一つの形に過ぎません。生物が別の種類の生物と関係を持つのは基本的に「自分にメリットがあるから」であり、それが相手を弱らせたり殺したりする形であれば「寄生」、そうでない場合は「共生」と呼ばれます。テッポウエビと共生ハゼのように、お互いがお互いを利用する関係を特に「相利共生」と呼びます。これに対して、片方だけが利益を得る場合を「片利共生」といいます。 オジサンという名前のヒメジ科の魚は、サンゴ礁の砂地を餌場にします。口の下にぴょこんと飛び出たヒゲには味覚を感じる感覚器があり、砂に顔を突っ込んで餌になる生物を探します。このヒメジ類としばしば一緒に泳いでいるのがミツボシキュウセンというベラの仲間の魚で、自分で砂を掘る事なく、おこぼれを狙ってピッタリと付いていきます。ヒメジ類には何のメリットもないわけで、これは片利共生だと考えられます。ちなみにミツボシキュウセンは、我々が生物を探して海中で石をひっくり返した時も真っ先に寄ってきて餌を探し、次の石をひっくり返すまで「まだ〜?」と言いたげに待っていたりします。 寄生には、相手(宿主)から少しずつ栄養を奪う程度のものから、宿主を殺してしまうものまで様々なパターンがあります。カニの腹節(お腹の三角形の部分)に寄生するフクロムシという生物の仲間は、本来カニが卵を抱く場所(カニの「ふんどし」)に陣取って栄養を奪います。さらに、時期が来るとカニの神経系をコントロールして自分の卵を海中に「産ませ」ます。恐ろしいことに、このフクロムシはオスのカニにも取り付き、本来オスがしないはずの産卵行動を取らせます。寄生されたカニはオスもメスも生殖能力を奪われてしまいます。 「共生」でせっかくほのぼのとした気分になったのに、ちょっとグロテスクな話題で締めてしまいましたね。結局、生物の世界も人間社会と同じように、自分の利益こそが全てなのか、と思われたかもしれません。ある意味その通りなのですが、生物の世界では皆自分が生き残ることに必死で、共生も寄生もすべてそのための必要性から発展した関係です。そこには人間の知性と社会性が産んだ「妬み」や「いじめ」の要素はありません。また、逆にこうも考えられるのではないでしょうか。人間こそは仲間同士お互いの利益や、自分の生存に必要な資源・環境について考え、判断するだけの知性と社会性を発展させ、生存競争を生き抜くように適応してきた生き物なのであると。 執筆者 宮崎 悠
 違う種類の生き物同士が協力して生きる「共生」。古今東西を通じて、そういうストーリーはどうも人々の心に触れるようです。とりわけ「弱肉強食」的な、殺伐としたイメージのある自然界においてそういう例を見ると、砂漠の中にオアシスを見つけたような気分になります。 サンゴ礁の白い砂地の海底に住む生き物のひとつに、テッポウエビの仲間がいます。テッポウエビ類は砂地にかなり深いトンネルを掘って住んでいます。この巣穴にはたいてい、「居候」をしている魚がいます。オドリハゼ、シロオビハゼなどのハゼ類です。まとめて「共生ハゼ」と呼ばれている彼らは、ただ他人の家に居座っているだけではありません。実は、彼らはテッポウエビの巣穴の「警備員」をやっているのです。テッポウエビはモグラのような穴ぐら生活に適応した結果、眼が退化してほとんど見えません。これに対して共生ハゼは眼がよいうえ、巣穴の上数センチの水中に浮いて(ホバリングして)いられるため、遠くの天敵をいち早く発見できます。砂地の穴は放っておくと崩れていくので、テッポウエビはしょっちゅう巣穴の修繕をしていますが、その間じゅう、長い触覚で共生ハゼを触っています。そしてハゼが危険を知らせる動きをすると、瞬時に巣穴に引っ込んでいくのです。 これだけ聞くとほのぼのとした気分になりますが、「共生」は数ある生物同士の関係の一つの形に過ぎません。生物が別の種類の生物と関係を持つのは基本的に「自分にメリットがあるから」であり、それが相手を弱らせたり殺したりする形であれば「寄生」、そうでない場合は「共生」と呼ばれます。テッポウエビと共生ハゼのように、お互いがお互いを利用する関係を特に「相利共生」と呼びます。これに対して、片方だけが利益を得る場合を「片利共生」といいます。 オジサンという名前のヒメジ科の魚は、サンゴ礁の砂地を餌場にします。口の下にぴょこんと飛び出たヒゲには味覚を感じる感覚器があり、砂に顔を突っ込んで餌になる生物を探します。このヒメジ類としばしば一緒に泳いでいるのがミツボシキュウセンというベラの仲間の魚で、自分で砂を掘る事なく、おこぼれを狙ってピッタリと付いていきます。ヒメジ類には何のメリットもないわけで、これは片利共生だと考えられます。ちなみにミツボシキュウセンは、我々が生物を探して海中で石をひっくり返した時も真っ先に寄ってきて餌を探し、次の石をひっくり返すまで「まだ〜?」と言いたげに待っていたりします。 寄生には、相手(宿主)から少しずつ栄養を奪う程度のものから、宿主を殺してしまうものまで様々なパターンがあります。カニの腹節(お腹の三角形の部分)に寄生するフクロムシという生物の仲間は、本来カニが卵を抱く場所(カニの「ふんどし」)に陣取って栄養を奪います。さらに、時期が来るとカニの神経系をコントロールして自分の卵を海中に「産ませ」ます。恐ろしいことに、このフクロムシはオスのカニにも取り付き、本来オスがしないはずの産卵行動を取らせます。寄生されたカニはオスもメスも生殖能力を奪われてしまいます。 「共生」でせっかくほのぼのとした気分になったのに、ちょっとグロテスクな話題で締めてしまいましたね。結局、生物の世界も人間社会と同じように、自分の利益こそが全てなのか、と思われたかもしれません。ある意味その通りなのですが、生物の世界では皆自分が生き残ることに必死で、共生も寄生もすべてそのための必要性から発展した関係です。そこには人間の知性と社会性が産んだ「妬み」や「いじめ」の要素はありません。また、逆にこうも考えられるのではないでしょうか。人間こそは仲間同士お互いの利益や、自分の生存に必要な資源・環境について考え、判断するだけの知性と社会性を発展させ、生存競争を生き抜くように適応してきた生き物なのであると。 執筆者 宮崎 悠
 違う種類の生き物同士が協力して生きる「共生」。古今東西を通じて、そういうストーリーはどうも人々の心に触れるようです。とりわけ「弱肉強食」的な、殺伐としたイメージのある自然界においてそういう例を見ると、砂漠の中にオアシスを見つけたような気分になります。 サンゴ礁の白い砂地の海底に住む生き物のひとつに、テッポウエビの仲間がいます。テッポウエビ類は砂地にかなり深いトンネルを掘って住んでいます。この巣穴にはたいてい、「居候」をしている魚がいます。オドリハゼ、シロオビハゼなどのハゼ類です。まとめて「共生ハゼ」と呼ばれている彼らは、ただ他人の家に居座っているだけではありません。実は、彼らはテッポウエビの巣穴の「警備員」をやっているのです。テッポウエビはモグラのような穴ぐら生活に適応した結果、眼が退化してほとんど見えません。これに対して共生ハゼは眼がよいうえ、巣穴の上数センチの水中に浮いて(ホバリングして)いられるため、遠くの天敵をいち早く発見できます。砂地の穴は放っておくと崩れていくので、テッポウエビはしょっちゅう巣穴の修繕をしていますが、その間じゅう、長い触覚で共生ハゼを触っています。そしてハゼが危険を知らせる動きをすると、瞬時に巣穴に引っ込んでいくのです。 これだけ聞くとほのぼのとした気分になりますが、「共生」は数ある生物同士の関係の一つの形に過ぎません。生物が別の種類の生物と関係を持つのは基本的に「自分にメリットがあるから」であり、それが相手を弱らせたり殺したりする形であれば「寄生」、そうでない場合は「共生」と呼ばれます。テッポウエビと共生ハゼのように、お互いがお互いを利用する関係を特に「相利共生」と呼びます。これに対して、片方だけが利益を得る場合を「片利共生」といいます。 オジサンという名前のヒメジ科の魚は、サンゴ礁の砂地を餌場にします。口の下にぴょこんと飛び出たヒゲには味覚を感じる感覚器があり、砂に顔を突っ込んで餌になる生物を探します。このヒメジ類としばしば一緒に泳いでいるのがミツボシキュウセンというベラの仲間の魚で、自分で砂を掘る事なく、おこぼれを狙ってピッタリと付いていきます。ヒメジ類には何のメリットもないわけで、これは片利共生だと考えられます。ちなみにミツボシキュウセンは、我々が生物を探して海中で石をひっくり返した時も真っ先に寄ってきて餌を探し、次の石をひっくり返すまで「まだ〜?」と言いたげに待っていたりします。 寄生には、相手(宿主)から少しずつ栄養を奪う程度のものから、宿主を殺してしまうものまで様々なパターンがあります。カニの腹節(お腹の三角形の部分)に寄生するフクロムシという生物の仲間は、本来カニが卵を抱く場所(カニの「ふんどし」)に陣取って栄養を奪います。さらに、時期が来るとカニの神経系をコントロールして自分の卵を海中に「産ませ」ます。恐ろしいことに、このフクロムシはオスのカニにも取り付き、本来オスがしないはずの産卵行動を取らせます。寄生されたカニはオスもメスも生殖能力を奪われてしまいます。 「共生」でせっかくほのぼのとした気分になったのに、ちょっとグロテスクな話題で締めてしまいましたね。結局、生物の世界も人間社会と同じように、自分の利益こそが全てなのか、と思われたかもしれません。ある意味その通りなのですが、生物の世界では皆自分が生き残ることに必死で、共生も寄生もすべてそのための必要性から発展した関係です。そこには人間の知性と社会性が産んだ「妬み」や「いじめ」の要素はありません。また、逆にこうも考えられるのではないでしょうか。人間こそは仲間同士お互いの利益や、自分の生存に必要な資源・環境について考え、判断するだけの知性と社会性を発展させ、生存競争を生き抜くように適応してきた生き物なのであると。 執筆者 宮崎 悠
 違う種類の生き物同士が協力して生きる「共生」。古今東西を通じて、そういうストーリーはどうも人々の心に触れるようです。とりわけ「弱肉強食」的な、殺伐としたイメージのある自然界においてそういう例を見ると、砂漠の中にオアシスを見つけたような気分になります。 サンゴ礁の白い砂地の海底に住む生き物のひとつに、テッポウエビの仲間がいます。テッポウエビ類は砂地にかなり深いトンネルを掘って住んでいます。この巣穴にはたいてい、「居候」をしている魚がいます。オドリハゼ、シロオビハゼなどのハゼ類です。まとめて「共生ハゼ」と呼ばれている彼らは、ただ他人の家に居座っているだけではありません。実は、彼らはテッポウエビの巣穴の「警備員」をやっているのです。テッポウエビはモグラのような穴ぐら生活に適応した結果、眼が退化してほとんど見えません。これに対して共生ハゼは眼がよいうえ、巣穴の上数センチの水中に浮いて(ホバリングして)いられるため、遠くの天敵をいち早く発見できます。砂地の穴は放っておくと崩れていくので、テッポウエビはしょっちゅう巣穴の修繕をしていますが、その間じゅう、長い触覚で共生ハゼを触っています。そしてハゼが危険を知らせる動きをすると、瞬時に巣穴に引っ込んでいくのです。 これだけ聞くとほのぼのとした気分になりますが、「共生」は数ある生物同士の関係の一つの形に過ぎません。生物が別の種類の生物と関係を持つのは基本的に「自分にメリットがあるから」であり、それが相手を弱らせたり殺したりする形であれば「寄生」、そうでない場合は「共生」と呼ばれます。テッポウエビと共生ハゼのように、お互いがお互いを利用する関係を特に「相利共生」と呼びます。これに対して、片方だけが利益を得る場合を「片利共生」といいます。 オジサンという名前のヒメジ科の魚は、サンゴ礁の砂地を餌場にします。口の下にぴょこんと飛び出たヒゲには味覚を感じる感覚器があり、砂に顔を突っ込んで餌になる生物を探します。このヒメジ類としばしば一緒に泳いでいるのがミツボシキュウセンというベラの仲間の魚で、自分で砂を掘る事なく、おこぼれを狙ってピッタリと付いていきます。ヒメジ類には何のメリットもないわけで、これは片利共生だと考えられます。ちなみにミツボシキュウセンは、我々が生物を探して海中で石をひっくり返した時も真っ先に寄ってきて餌を探し、次の石をひっくり返すまで「まだ〜?」と言いたげに待っていたりします。 寄生には、相手(宿主)から少しずつ栄養を奪う程度のものから、宿主を殺してしまうものまで様々なパターンがあります。カニの腹節(お腹の三角形の部分)に寄生するフクロムシという生物の仲間は、本来カニが卵を抱く場所(カニの「ふんどし」)に陣取って栄養を奪います。さらに、時期が来るとカニの神経系をコントロールして自分の卵を海中に「産ませ」ます。恐ろしいことに、このフクロムシはオスのカニにも取り付き、本来オスがしないはずの産卵行動を取らせます。寄生されたカニはオスもメスも生殖能力を奪われてしまいます。 「共生」でせっかくほのぼのとした気分になったのに、ちょっとグロテスクな話題で締めてしまいましたね。結局、生物の世界も人間社会と同じように、自分の利益こそが全てなのか、と思われたかもしれません。ある意味その通りなのですが、生物の世界では皆自分が生き残ることに必死で、共生も寄生もすべてそのための必要性から発展した関係です。そこには人間の知性と社会性が産んだ「妬み」や「いじめ」の要素はありません。また、逆にこうも考えられるのではないでしょうか。人間こそは仲間同士お互いの利益や、自分の生存に必要な資源・環境について考え、判断するだけの知性と社会性を発展させ、生存競争を生き抜くように適応してきた生き物なのであると。 執筆者 宮崎 悠